性科学は1886年に誕生したが、今でもセックスは謎だらけ
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<人間の性欲を研究対象に選んだボストン大学の認知神経科学者2人。セックスの研究は約130年も前に始まったのに、いまだに謎が多いままだ。2人の用いた新たな手段はインターネットとデータマイニングだった>
認知神経科学の研究者がポルノの研究をするのは珍しい。だがボストン大学のオギ・オーガスとサイ・ガダムはまさにそれをやってのけ、1冊の本を世に送り出した。2人の抱いた疑問は、「性的欲望と欲情を生み出す脳のソフトウエアは、どんなしくみになっているのか」というものだった。
どうやって疑問に答えるか。カギは、インターネットだ。インターネットを情報源に研究を行えば「信じられないくらい多種多様な人々の生(なま)の活動」を明らかにすることができ、「人間の行動についての世界最大の実験が可能になる」と彼らは考えた。
4億の検索ワード、65万人の検索履歴、数十万の官能小説、数千のロマンス小説、4万のアダルトサイト、500万件のセフレ募集投稿、数千のネット掲示板投稿――これらをオーガスとガダムがデータマイニングにより分析し、読み物としても濃密な1冊に仕上げたのが『性欲の科学――なぜ男は「素人」に興奮し、女は「男同士」に萌えるのか』(坂東智子訳、CCCメディアハウス)だ。
ここ1~2年、ネットの世界では「政治」が大きな話題を占めるようになっているが、確かにインターネットといえば、生の感情や欲望が飛び交う世界。本書に記されているように、「ネットはポルノのためにある」というのは一面の真実だろう。
ここでは本書の「第1章 大まじめにオンラインポルノを研究する――性科学と『セクシュアル・キュー』」から一部を抜粋し、3回に分けて転載する。シリーズ第1回は、第1章の冒頭から。
科学の世界では、1886年に、注目に値する新しい学問分野がふたつ誕生した。どちらの分野も、生みの親となったのはドイツ人科学者だ。1人の科学者は外界に目を向け、自然界に潜んでいた謎を解明しようとした。もう1人は人間の内面をのぞき込み、心理の謎を解明しようとした。その後、ふたつの科学分野のうち、ひとつは著しい発展を遂げたが、もうひとつは、意外なほど停滞してしまった。
1886年、物理学者のハインリヒ・ヘルツは、史上初の無線アンテナを作り上げた。それを使って、イギリスの理論物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェルが予想した電磁波の存在を確かめたかったのだ。ヘルツは、電波信号の送受信に初めて成功し、同時に、マクスウェルの電磁波理論が正しかったことを証明して、「レディオフィジックス(電磁波物理学)」という新しい学問分野を開いた。レディオフィジックスは、目に見えない未知の「波」を研究テーマとする学問で、当時の学者たちには想像も及ばない世界だった。しかしその後の1世紀のあいだに、レディオフィジックスの研究者たちは、DVDプレイヤーや眼科手術などに使われるレーザーを開発した。彼らは、脳をスキャンして腫瘍を探す技術も開発したし、宇宙の始まりとされるビッグバンの「音」を捉えることにも成功している。
僕たちにとって、もっと個人的に関係のあるテーマを研究したのが、医学者リヒャルト・フォン・クラフト=エビングだった。彼は、アフリカの渓谷で人類が誕生して以来のテーマに取り組み、1886年に画期的な本を世に出した。この本には、『Psychopathia Sexualis(性の精神病理、邦題『変態性欲心理』)』というラテン語のタイトルがつけられ、素人の読者が読めないように、内容の一部もわざとラテン語で書かれている。この本では、クリトリスの刺激、性欲減退、ホモセクシュアルなど、それまではあまり公にされることのなかったトピックが取り上げられている。この本に端を発する学問分野は、「性科学」と呼ばれている。