VOICES コラム&ブログ
BLOG ブログ

Englishman in New York

湯をケチるニューヨーク流悪徳ビジネス

2010年05月06日(木)11時41分


 日本を離れてから覚えた、ちょっとした儀式がある。洗濯物を3つか4つのグループに分けるということだ。まずはタオルやスポーツウェア、肌着など。次はTシャツ、ワイシャツ、ズボン。続いて「デリケートな素材のもの」やドレスシャツ、セーター。最後に白い服、という具合に分ける。

 ニューヨークのコインランドリーでは、僕と同じように洗濯物を仕分けしている人たちをよく見かける。そしてニューヨークでは、ほとんど誰もがコインランドリーを使っている。

 汚れを落とすために、熱いお湯も大丈夫な(むしろ熱いお湯の方がいい)洗濯物もある(タオルは熱ければ熱いほどいいと思う)。ぬるま湯が最適な物もある。でも、僕のお気に入りのウールのセーターやコードデュロイのズボンなど一部の洗濯物は、冷たい水でないと傷んでしまう。

 だからある日、苦労して洗濯物を仕分けてコインランドリーに行った僕は、あることに気付いて驚愕した。4種類の洗濯物を入れて4種類の温度を設定し、別々に動かした4つの洗濯機が、どれも冷水しか使っていなかったのだ。どうなっているのかと店主に尋ねると、店主は「現時点では」お湯は使えないと言った。だが1週間たっても2週間たっても、その「時点」は続いていた。つまり、お湯は出てこなかった。

 頭にきた僕は、コインランドリーを変えた。変わらなかったのは、今度も設定を「お湯」「ぬるま湯」「水」「水――デリケート素材」という4つのコースから選べること。そしてどれを選んでも、またもや冷水しか出てこないということだ(フォード自動車の創業者ヘンリー・フォードの名言とちょっと似ている。「車体はどんな色にもできます――黒であるかぎりは」)。

 この店の店主は、お湯が出ているはずだと言い張った。僕は洗濯機の窓ガラスを触っても冷たいじゃないかと反論したが、店主は「お湯は洗濯機の内部にあるのだから、ガラスを触ってもわかりません」と譲らない(ガラスだって熱を伝えることを説明したがムダだった)。そこで僕は、洗濯機の上の方の水に触って冷たいじゃないかと言ってやった。だが店主の言い分は「だからお湯は洗濯機の内部にあるんです」。

 最後には店主は僕を倉庫に連れて行き、お湯の蛇口をひねって、店にはお湯があることを証明しようとした。まるで、トイレの水が流れるんだから庭のホースも水が流れていますと言っているようなものだ。

 本当はこの店がお湯など使っていないということ以上に、店主の下手な嘘に腹が立った。

 結局、僕は店を変えるしかなかった。これまでの店よりさらに数分歩いた先に小さな家族経営のコインランドリーがあり、そこでは(なんとも驚くべきことに)お湯が使えるのだ(今度は窓ガラスを触ってもちゃんとわかる)。

 少し悲しいのは、こんな商売がまかり通っていること。洗濯物を無意味に仕分けさせて別々の洗濯機を使わせ、客に余計なカネを使わせる。しかも燃料費をケチっておきながら、客に見破られると嘘をつき通す。

 残念だけど、僕にはこのやり方が典型的なニューヨーク流に見える。ケチくさくて汚いビジネスというやつだ。


Bookmark:

  • はてなブックマークに登録
  • livedoorクリップに登録
  • Buzzurlに登録
  • Yahoo!ブックマークに登録
ページトップへ

ニューヨークの山谷と妹島和世

2010年04月19日(月)14時16分

 もはやニュースとはいえないが、日本の建築ユニットSANAA(妹島和世と西沢立衛)がこの3月、アメリカの権威ある建築賞プリツカー賞を受賞した。彼らの作品の1つであるニューヨークの新現代美術館を訪れたが、僕はかなり気に入った。モダン建築があまり好きではない僕がこうした建物を気に入るのは、とても珍しいことだ。

 コンテナを適当に積み重ねた、とでも言うべき概観をした新現代美術館は、中に入ると光にあふれる空間が広がっていて、街を見渡す素晴らしいテラスもある。

Colin010419_a.jpg

 この博物館は、ニューヨークで僕のお気に入りの通り「バウリー」にある。10代の頃聴いた歌のなかに、「バウリー・バム」という歌詞が出てきたのを覚えている。何のことだろうと思っていたが、ようやく分かった。バウリーにはその昔、ホームレスやアルコール依存症の人が宿泊する施設がたくさんあったのだ(バムとはホームレスの意味)。今も、東京の山谷で見かけたような簡易宿泊所がいくつか残っている。

Colin010419_b.jpg

 なぜだか僕はバウリーという「音」が好きだ。バウリーはオランダ語の農場(bouwerij)からきた言葉で、ここがかつて都市と北部の農場を結ぶ道路だったことに由来する。農場は町に飲み込まれたが、この名前はオランダからの移民が住み着いた場所だったことを少なからず思い出させてくれる。

バウリーは幹線道路として栄えたものの、19世紀にはさびれ、20世紀には「脱落者の中心地」となった。そのため大規模な開発が進まず、かつて栄えた時代の名残の建物の多くが今も残っている。新現代美術館のような新しい建物が加わるなかでこの特徴をいかに残すかが、今後の課題となるだろう。

 簡易宿泊所の中で魅力的な建物といえば、キリスト教系慈善団体が運営する「バウリー・ミッション」だ。エントランスを美しいステンドグラスが飾っている。

Colin010419c.jpg

 僕のお気に入りはバウリー貯蓄銀行の建物。現在ではイベントホールとして使われている。もう1つ、シチズンズ貯蓄銀行本店の建物もいい(今は英金融大手HSBCになっている)。

Colin010418_e.jpg

 僕がバウリーを好きなのは、たぶん民族が雑多だからだろう。南側は中華街で始まり、少し北上するとバウリー・ポエトリー・クラブやバウリー・ボールルーム、アマート・オペラ・ハウス(個人が所有する小さな施設だが残念なことに昨年閉鎖された)などの文化的施設がある。アメリカのパンク音楽の中心である伝説的クラブCBGBもある(06年に閉鎖)。ホームレスもいるが、おしゃれなクラブやレストランも数多くある。

 キッチン用品を売っている店も多く、まるで東京の合羽橋みたいだ。自然食品スーパー、ホールフーズの大きな店もある。
 
 妹島と西沢の手がけた新現代美術館は、歴史ある面白い地区に新たな価値を加えたといえそうだ。

Bookmark:

  • はてなブックマークに登録
  • livedoorクリップに登録
  • Buzzurlに登録
  • Yahoo!ブックマークに登録
ページトップへ

ジャパン・ナイトで輝く若者バンド

2010年03月28日(日)16時12分

先週の日曜日(3月21日)、僕はめったに行かない場所へ行った。音楽のライブイベントに足を運んだのだ。僕がバウリー・ボールルームで行われた「Japan Nite(ジャパン・ナイト)」に興味を持ったのは、1つにはこのライブハウスが有名だったこと。それからどんな人たちが集まるのかにも、興味があった。
JapanNiteTour.jpg

 バウリー・ボールルームは噂どおり、とても居心地のいい店だった。「ジャパン・ナイト」に集まるのがどんな人たちかの答えも、何となく分かった(日本人と日本好きのオタク、それとすぐに分類できるタイプの人たちだ)。でも何より僕が興味を引かれたのは、出演していたバンドだった。当たり前のことなのかもしれないけれど、コンサートを輝かせるのはミュージシャンだということがよく分かった。

 ジャパン・ナイトは15年の歴史があり、今では音楽イベントとしてすっかり定着している。今年はテキサス州オースティンで開催される有名な音楽フェスティバルSXSWで幕を開け、ニューヨークの後は、シカゴ、ボストン、シアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルスを回る。

 実は音楽にはそれほど期待していなかった。ロックやポップ音楽が大好きというわけではない。僕にとって音楽は、何かをしているときに聞くバックグラウンドミュージックだ(バーでお酒を飲んでいるとき、本を読んでいるとき......)。

 でもこの日、僕は成熟した才能を見せ付ける出演バンドに釘付けになった。大阪のガールズバンドJinny Oops!はヘビーなサウンドに美しい音色を響かせた。女性がロックを演奏する姿は、なんて魅力的なんだろう。
japanniteb.jpg
Jinny Oops!

 4人組のOKAMOTO'Sは僕にとっては最も親しみやすかった。リードボーカルの気取ったステージパフォーマンスは、ミック・ジャガーの影響を受けたに違いない。彼らのサウンドは、僕が子供の頃から馴染みのあるザ・フーやローリング・ストーンズに近い。
japaniteb.jpg
OKAMOTO'S

 実験的な音楽を手掛けるOmodakaについてはまったく知らなかった。それだけに圧倒された。iPhoneほどの小さな機械を手に持って、電子音楽を演奏していた。観客に語りかけるときは音声変換機を使い、スクリーンに現れた顔が古い民謡のようなものを歌う。
japannitec.jpg
Omodaka

 演奏の合間にバーで休んでいたら、OKAMOTO'Sのメンバーが座っているのが見えた。ステージでの成熟した演奏とは打って変わって、彼らがとても若かったので驚いた(実際のところ彼らはニューヨークでは酒を飲めない年齢だ)。

 家に帰る途中、東京で英語を教えるイギリス人の友人が、日本の子供たちに英語をしゃべらせるのは大変だと言っていたことを思い出した。「彼らはとてつもなく恥ずかしがり屋だから、人前で発言するのは簡単じゃない」と彼は言う。

 だが、僕はジャパン・ナイトで見た日本の若者たちにまったく別の印象を持った。それは、とてつもなく自信に満ちた姿だ。

Bookmark:

  • はてなブックマークに登録
  • livedoorクリップに登録
  • Buzzurlに登録
  • Yahoo!ブックマークに登録
ページトップへ

ニューヨークは壊れている

2010年03月21日(日)12時58分

 ニューヨークは壊れている。

 インフラが古びる前に絶えず最新の(そして高価な)ものに置き換わる東京からこの街にやって来た僕は、驚いてしまった。

 ニューヨークに着いた最初の週、ミッドタウンで大きな爆発が起きて1人が死亡する事故があった。現場は僕が泊まっていたホテルのすぐ近くだった。原因は、1924年に設置された古い蒸気配管が破裂したこと。

 ニューヨークの街のあちこちで、道路から湯気が出ていることを最初に知ったのはいつだっただろう。いつの間にか知っていたように思う(ニューヨークのタクシーが黄色であることも、いつの間にか知っていた)。湯気が出ている理由について深く考えたことはなく、ただニューヨークの「情緒」の1つだと単純に思っていた。

 けれどこの事故で、マンハッタンの地下には暖房に利用する蒸気を運ぶため150キロにも及ぶ管が埋められていることを知った。しかもその管は、心配になるほど旧式だった。

 下水溝はよく満杯になる。雨は下水溝に流れる仕組みだが、大雨が続くとすぐにあふれ出す。
 
 突然道路が陥没することも珍しくない。

 道路は一晩にしてへこむ。今週は僕が住むアパートの前の道路にも穴ぼこができていた。たいていは1、2日で修復されるが、また穴が開く。

colinb.JPG
nya.JPG

 さらに、ニューヨークは崩れている。

 多くの高層ビルは1世紀前に建てられたものだ。当時は胸を張る建築だったのだろうが、要は築100年ということ。こうしたビルについて面白い記事を読んだことがある。通行人からは見えないが、上層階はかなり劣化が進んでいるという。38階から落ちてきた破片が刺さった場合、それほど大きな破片でなくても致命的になるそうだ。

 ニューヨークを訪れるには覚悟が必要だ。でも、壊れてなくなってしまう前に見ておいたほうがいい。

Bookmark:

  • はてなブックマークに登録
  • livedoorクリップに登録
  • Buzzurlに登録
  • Yahoo!ブックマークに登録
ページトップへ

日本人彫刻家の氷のハートに魅せられて

2010年02月26日(金)17時32分


 僕は滅多にタイムズスクエアに行かない。周り道をして避けるぐらいだ。例え行くことがあっても、カメラを取り出して写真を撮ることはない。タイムズスクエアで写真を撮るという行為は、いかにも観光客的で僕には耐えられない。

 でも先日の暖かい日に、思い立ってタイムズスクエアに写真を撮りに行くことにした。すぐに出掛けなければ、僕が出掛ける理由は消えてなくなってしまうのだ。

 ニューヨークに住み始めて間もなく、僕は岡本武夫という氷の彫刻家に取材したことがある。クイーンズにある彼のスタジオで話を聞き、「世界が尊敬する日本人」の記事を書いた。今年のバレンタインデーにタイムズスクエアに設置された氷のハートを作ったのが岡本だと知って、溶けて水になってしまう前に見ておきたかった。

ハート2.jpg

ハート.jpg

 岡本への取材では、2つの話が印象深かった。1つは、彼が趣味で氷の彫刻を始めたときの愉快な話。彼はその当時アラスカで寿司職人をしていたのだが、アラスカには彫刻に適した氷がない、という。もちろん自然の氷ならいっぱいあるのだが、純度や質が彫刻には適していない。とはいえ物を冷やしたりする用途には十分なので、どこにも氷が売っていない。岡本は何キロも先の湖まで車を飛ばし、凍った湖の透明な氷を切り出して、家に持ち帰ったという。他の都市ならどこでも氷の塊が売っているのに、アラスカにはないなんて!

 もう1つは、岡本が氷の溶ける点に美学を見い出していたことだ。作品が溶けてしまうのは寂しくないか、とよく聞かれるそうだが、岡本はそうは思わない。氷が溶けることで、彫刻の形は変化していく。人間が手を加えたものではなく、自然が作る美しいラインが現れる。氷は溶けることでより美しくなるという。

 岡本が作った氷のハートを写真に収めた人はどれくらいいたのだろう。100万人とはいわずとも、数万人はいたはずだ。カメラを手にタイムズスクエアに立った僕は、喜んでその1人になった。

 


Bookmark:

  • はてなブックマークに登録
  • livedoorクリップに登録
  • Buzzurlに登録
  • Yahoo!ブックマークに登録
ページトップへ

AD SPACE

BLOGGER'S PROFILE

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。現在はニューヨークを拠点に活動中。ビールとサッカーをこよなく愛す。新著に『「ニッポン社会」入門』(NHK生活人新書)。アドレスはjhbqd702@yahoo.co.jp>さらに読む