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コラム
瀧口範子@シリコンバレーJournal
少女を殺人にいざなうネットキャラ「スレンダーマン」
「スレンダーマン」という架空のキャラクターが、突如全米の注目を集めている。ウィスコンシン州で12歳の少女2人が同級生をめった刺しにし、逮捕された後に「スレンダーマンがそう求めていたから」とその動機を語ったからだ。刺された少女は数ミリの差でナイフが急所を外れかろうじて命はとりとめたが、19回も刺されていたという。
スレンダーマンは都市伝説の一種だ。実際には存在しないのにあたかも実在するかのように噂され、架空とは思えないような細かなキャラクターやエピソードも付随し、現実と非現実の境界をわからなくさせる。
スレンダーマンは、2009年にインターネット上で行われたフォトショップ・コンテストで生み出された。不自然なほどに背の高い男で黒い服に身を包み、顔面は空白。人、子供をさらい森を好む、といった核となる人物像はこの時につくられた。
最初に登場した時から、子供たちをさらった証拠写真のようなものがキャプション付きでシェアされ、その後インターネット空間では、本当に起きた出来事を記述するかのようにスレンダーマンのことが語り継がれてきた。そのほとんどがダークなストーリーで、いつもは見えないが写真を撮るとその背景に写り込んでいるとか、スレンダーマンは彼に殺されるその瞬間に姿を現すといったような話が付け足されていった。そのうちビデオやゲームにもなって、ちょうど民間伝承のようにそれぞれの語り手が世界を膨らませてきた。
2人の少女は同級生を森に誘い込んで犯行に至った。逮捕された後も正気に返ることなく、スレンダーマンの世界に住んでいるかのごとく動機を説明するさまに、世間はあっけにとられた。またこの事件の後、やはりスレイダーマンに影響を受けた別の少女が、顔にマスクをして黒ずきんをかぶり、帰宅した母親を刺すという事件も起きている。そんなこともあって、インターネット上の架空の物語の危険性が急に問題視され始めたというわけだ。
すべてを読んだわけではないが、スレンダーマンの物語には確かに巧みなところがある。大人たちが、この都市伝説を編み出すおもしろさに夢中になっても仕方がないだろう。だが、それを読んだ子供たちの一部は、すっかりその世界に取り込まれてしまった。専門家たちは、スレンダーマンが顔を持たないため、いかようにも想像力を膨らますことが可能だったことや、生と死の狭間で出現する危うさが、子供たちをとりこにしてしまうと説明している。
ウィスコンシン州では、子供であっても10歳以上ならば殺人未遂、殺人は成人として罪を問われることになっており、2人の少女はすでにメディアで顔を報じられてしまった。私見を述べれば、ちょっとオタクっぽい雰囲気。あるいは読書好きなタイプ。だが、どう見てもまだ子供だ。
さて、それではこういったインターネット上の物語は悪なのか。大人たちはもっと責任を感じるべきなのか。議論はいつものようにそちらの方向へ向かっているのだが、それは短絡だろう。
昔から小説や映画に影響を受けた犯罪はあったから、インターネットが悪いとは言えない。けれども、人々が独自にディテールを付け加えていくことで、物語がひとつのかたちに留まらず増殖していく性質は新しいものだ。いったん妄想を抱き始めたら、その増殖にすっかり足を取られてしまうこともあるだろう。
けれども、結局は現実と非現実に対するリタラシーとバランスの問題ではないだろうか。人は現実と非現実の両方があってこそ生き延びていけるのだと思うが、インターネットは伝える現実も物語る非現実も、その両方をすさまじい速さで増殖させている。その速さに対する認識力こそ見失ってはいけないものだ。
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