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イラク:6年後の「いつか来た道」?

2009年04月22日(水)20時20分

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 6年前の今頃、世界中がイラクに注目していた。2003年4月9日にバグダードが陥落、ごうごうと市内を走る米軍の戦車の姿のあとに、フセイン政権の終焉への歓喜と困惑の入り混じったイラク市民の表情が、テレビ画面を独占していた。

 あれから6年。イラクの様子がメディアに映し出されることはめったになくなった。簡単な戦争と思われていたイラク戦争が、実際には戦後処理に手間取り、治安はどんどん悪くなり、駐留外国軍は6年間でイラク戦争中の30倍の死者を出した。イラクは「あまり正視したくない米国の失敗」となったのである。

 ブッシュ政権のイラクでの失敗を語るとき、印象的なのが戦争直後のラムズフェルド国防長官の言葉だ。戦後のイラクでは、混乱と無秩序に乗じて、あちこちで家財道具や金品を盗んでは堂々と運び出す光景が見られた。一夜にして盗賊が跋扈する社会となったイラクを見て、ラムズフェルドいわく、「イラクは解放されて自由になった。盗む自由も満喫されているということだ」。やれやれ。

 フセイン時代のイラクは、独裁、警察国家だった分、一般犯罪に対する取締りは極めて厳しかった。規制が厳しいほど、解かれると反動が大きいのだろう。政権が倒れると、旧政権につながるもの、カネ、人はすべからく破壊、排除の対象とされた。

 だが、当然人は無秩序のなかでは生きていけない。米国が戦後イラクへの導入を試みた「自由主義」は、無責任、放任主義とみなされて、イラク人には不人気だった。十分な準備のない段階での経済自由化、複数政党制の導入は、腐敗と分裂、下克上と行き過ぎたポピュリズムを招いただけだった。自由化の結果、さまざまなイスラーム政党が台頭し、米国としてはあまり面白くない結果になった。

 「ひっくり返し」すぎたのが失敗、と米国が軌道修正したのが、2007年ごろからである。造反有理の自由より、しっかりとした中央政府の樹立へと、方向転換した。同じ頃から治安が安定し始める。2007年秋以降、駐留米軍やイラク人の死者は格段に減った。

 2009年の今、今度は支配を強める中央権力への反発がちらほらと出現している。行き過ぎた自由の振り子を戻そうとした結果、また独裁体制が生まれようとしているのだろうか? 

 バグダードの本屋に、マーリキー現首相の立ち姿を表紙にした新刊本が並んでいた。どこかでみた光景だぞ、と、イラク国民は少し、困惑している。

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COLUMNIST PROFILE

酒井啓子

酒井啓子

東京外国語大学大学院教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク 戦争と占領』『イラクはどこへ行くのか』『イラクは食べる──革命と日常の風景』など。