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アステイオンは憧れの雑誌だった。
大学生時代、いつか自分で政策シンクタンクを作ってやるぞ、と息巻いていた私は、修業のため大蔵省(当時)に就職した。役人というのは政策を作る側だったが、下っ端に与えられる仕事の一つに、論調を調べろというものがあった。
例えば、税制であれば、「何とか先生は、こういうことを昨日の日曜討論で言っていた。オバタ、この先生の意見はどういうものか調べろ」と言われることが頻繁にあった。
当時インターネットは使っていなかったから、国会図書館のデータベースを検索して経済雑誌の記事などを探すのだが、出てくるものは軽量級のものばかりでつまらなそうなのだが、稀に重量級の雰囲気がするタイトルの記事が出てくる。
どの雑誌だろうと見ると、「アステイオン」と書いてある。なんじゃこりゃ、何語だ? 宗教団体?と半信半疑でひと気のない5階の大蔵省文庫というところにいくと、現物はそこにはなく、国会図書館に行かないといけない。
上司に、国会図書館に調べに行っていいですか?と聞くと、この忙しいときにサボりに行くのか!と怒鳴られて、仕方なく、物理的にその辺にある雑誌の記事を読んでまとめていた(日経テレコンが使えるようになった後も、それは従量制ですぐに予算がなくなるので、使用禁止にされていた)。それ以来、ずっとどんな雑誌何だろうと思っていたのである(やる気があるなら、週末にどっかに買いに行けばよかったのだが)。
で、今回、初めて、紙の雑誌「アステイオン」を読むことになったのである。少年老い易く学成り難し、ということで、30年前に買いに行くべきだった、と大いに後悔したのが、この2024年大晦日だったのである。
101号の特集「コロナ禍を経済学で検証する」 の感想だが、陰鬱たる気分にさせられた。
コロナ禍の4年間ほど、ストレスの溜まる、もどかしい時期はなかった。あまりにも馬鹿馬鹿しい風説が蔓延り、その風説を真に受けて、さらに上回る愚かな政策が次々と打ち出されたからである。
そして、その愚かさにはほとんどの人が気づいていた。政策の現場には、まともな奴はいないのか、と毎日自宅で叫んでいた。たまにネット記事の投稿で吐き出すものの、無力感にさいなまれ続けた日々だった。
しかし、本誌の大竹文雄先生の論考「感染症対策における日本の経済学(者)」によれば、現場に極めて近いところで、まっとうな議論は行われていたのである! 大竹先生が全権を掌握していれば、結果は変わったかもしれないが、大竹先生は、きっと大統領になっていたとしても、冷静に多くの人の意見を聞いて、独断では決めなかったのだろう。
この重厚な現場レポートを書きながら、こんなに冷静でいられる大竹先生の人徳を、私は見習わなければならない。