仮にインタビューが実現していたらどうであったか。おそらくシナトラが語る自分像とタリーズが描くシナトラ像とは違っていた気がする。本人の言葉という単一の線で描かれた輪郭より、証言と洞察による無数の点を繋げて描かれたシナトラ像はより多面的に、時には普遍的な人間性を含みながら読み手に迫ってくる。
そして本編を読み終えた後に、いつも私は読み手として──タリーズには失礼だが──インタビューが実現しなかったことに感謝してしまう。そして考える。人間は自分で自分の実像を語ることはできないのではないか──。事実、私は書き手としてそうした矛盾に悩んだことがあった。
もう6年ほど前になるが、新聞社を辞めて書き手として独立した頃、私は覚醒剤取締法違反で有罪判決を受けた清原和博氏を取材することになった。
人生の底に堕ちたプロ野球界のスーパースターは当時、世間から身を隠していたが、コンタクトを続けた末に何とかインタビューに漕ぎつけることができた。月に2度、木曜日の午後3時から都内某所で独白を聞けることになった。
時間にすれば60分ほど、一対一の空間で私は質問し、清原氏は禁断症状と鬱病に苦しみながらも言葉を絞り出した。他には誰も語ることのできない自身の内面を語った。初夏に始まった独白は盛夏を越え、秋を過ぎて、冬まで続いた。
だが、どういうわけか私はどれだけ清原氏の言葉を聞いても、その人物像に迫っている手応えがなかった。正直に言えば、地下鉄半蔵門線での帰り道、いつも心はスカスカで空虚だった。
本人の言葉に代わって私の脳裏に焼き付いていたのは、対話中に清原氏が憑かれたようにアイスコーヒーを飲み干す様であり、ストローを持つ手の小刻みな震えであり、独白を終えてタイル張りの階段を降りていく際の丸まった背中であったりした。それらの景色の方が遥かに雄弁に清原という人物を物語っている気がした。
それから私は、清原氏がどん底に落ちても側を離れようとしない人たちや、かつて清原氏の人生に関わった人たち、また、清原氏が育った場所に足を向けるようになった。つまり、その人物像に迫ろうと考えれば考えるほど、本人の言葉から遠ざかったところにその材を求めるようになっていったのだ。
vol.100
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