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はじめてアレクサンドル・ブロークの詩に出会った2002年から現在まで約20年のあいだ、ブロークの詩は私にとって、ときには自分の体験を解きあかす手引きであり、ときには言葉にできないものに形をくれる魔法であり、またときには希望のない底なしの闇に差し込むわずかな光の糸でした。
詩を読むという体験自体はそのようにごく個人的かつ主観的なもので、学問の立場から詩にアプローチしようとすれば、どこかでガストン・バシュラールのいう「ポエジーと科学の軸は、はじめから逆になっている」という命題につきあたることになります。それを充分に認識したうえで、いったい学問は詩にどう向き合えるのか──そんな一見きわめて温室培養的な、あまり社会に広く評価されそうのない課題を、この本は抱えています。
ところが2021年の夏に書いたあとがきの最後を、私はこう結んでいます──
「ブロークの詩が身に染みるのは、社会の矛盾と対立が急激に深まり、もはやなにか大きな社会変動が避けられないような運命の時を待っているような時代である。世界のいたるところで閉塞感が限度に達し、世の人々が『生きづらい』『退屈だ』『気懈い』とこぼすような時代に、ブロークの詩は、彼自身の言葉を借りるなら、それを『恐ろしく、また奇怪なこと』であると警告する。(...)今年、2021年はブロークの没後百年にあたる。現代のロシアは周辺諸国との関係も含めて数多くの問題を抱えており、人々の不満を力で押さえつけるのはもはや限度に達している。なにかが起こる、という予感とともに詩作を続けたブロークの作品が今こそ読み返され、繰り返す歴史の意味を感じとり、考えるための動力となることを願う」。
詩は内面に深く作用するものであるからこそ、不可避的に社会的なものを内包し、予感し、散文とは違う、より親密な空間での思考を可能にしてくれることがあります。
ふだん私たちは国際政治や戦争について考えるとき、地図や政治用語や軍事用語などを用いることによって、あたかも情報を整理したり理解したりしているようなふりをしがちです。しかしその「理解」には膨大な簡略化とレッテル貼りがつきまとい、遠くの地に住む他者を都合のいい枠のなかに追いやるという暴力性が伴います。
日露戦争と第一次大戦のとき、それまでは湧き出るように詩を書き続けていたブロークが、詩を書けなくなる時期があります。暴力を前に絶句し、戦場の指揮官と同じような言葉を書いたところで、それはなにも「書いた」ことにはならない、と認識したためでした。
言葉が対立や憎しみのためではなく、和解と愛のために用いられるためにはどうしたらいいのか──『夕暮れに夜明けの歌を──文学を探しにロシアに行く』という随筆のなかでも中心としてきた命題について、この受賞を励みに、考え続けていきたいと思います。
奈倉有里(Yuri Nagura)
1982年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。数多くのロシア文学の翻訳を手がけつつ、現在、早稲田大学などで非常勤講師を務める。著書『夕暮れに夜明けの歌を』(イースト・プレス)など。
『アレクサンドル・ブローク──詩学と生涯』
奈倉有里[著]
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