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<かつてベトナムでは女性が未婚のまま懐妊・出産するという社会現象があり、政府がこれを支援した。翻って現在の日本では、新しい家族の形を探る人たちは十分に支援されているだろうか。ベトナムの歴史を通じて、今の日本を振り返る>
1988年生まれの私にとって、東西冷戦はそれなりに遠い過去の歴史である。張り合っていた二極のうち、自由主義陣営の西側がどのような社会だったかは知っている。なぜならそれが世界を席巻し、自分もその中で生まれ育ったからだ。
しかし、東側がどんな社会だったかは、肌感覚ではわからない。想像も容易ではない。だから社会主義の国や社会を考えるとき、紋切り型のイメージを先行させがちである。大雑把に言えば、画一的、強権的、理想主義などといったイメージだろうか。
東西冷戦の舞台の一つに、ベトナムがある。凄惨なベトナム戦争が有名である。ベトナムは、現在も公式に社会主義国家を標榜している。その内実については様々な議論があろうが、いずれにせよ、米国と戦ったハノイ政権が様々な変化を経つつも脈々と続き、現在のベトナムを治めている。
人類学者ハリエット・フィニーが2022年に上梓した研究書『シングルマザーと国家による抱擁──ベトナムにおける生殖の行為主体性(Single Mothers and the State's Embrace: Reproductive Agency in Vietnam)』(ワシントン大学出版会、未邦訳)は、社会主義国としてのベトナムに関するイメージを新たにしてくれる。
フィニーが論じるのは、1980年代から90年代の北部ベトナムに現れた、とある興味深い社会現象である。
1960年代から続いた戦時体制、計画経済、および社会における様々な変化の影響で、少なくない数の女性がパートナーを得にくい状況に置かれた。そこで一部の女性は、夫でもなければ交際相手でもない男性に協力を依頼し、その男性の精子によって未婚のまま懐妊・出産しシングルマザーとして子供を育てるという選択をしたのである。
そのような選択は「子を請う(xin con)」と呼ばれて注目を集めた。本書は、女性が「子を請う」という選択をした複雑な理由を詳しく論じている。なかでも見逃せないのは、血の繋がった母と子の間に育まれる絆と愛情が女性の人生にとって欠くべからざるものだとされる、北部ベトナムの儒教的家族観だったという。
女性たちは、状況の制約のため結婚は叶わずとも、せめて血の繋がった子を持ちたいと願った。婚外子は伝統的な儒教的家族観によって当然タブー視されてもいるのだから、「子を請う」ことは、儒教的家族観から離れようと模索しつつもそれを再生産するという矛盾を含んでいる。そこには、支配的な価値観と状況の制約との間で板挟みになった女性たちの苦悩と意志がある。
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